忙しさまるで、ジャック・バウアー

radioaktiveprjeqt


だいぶおくれてますが、ついにゲットしました!


友達の、KM (SHINE)くん、さすがのハイテクボーイは、iTunesMusicStoreでサクッとダウンロードして、ピザを食べにいきました。





話題はガラッと変わり。



「オレorアタシ、好き嫌いはっきりしてるほうだからさぁ。。」

こんなこと言うひとっておもってるより多いもんです。


率直に、残念。 The 欺瞞。


なんか違わないか?と、思います。


『好き』 『嫌い』 ってふたつの両極の対立感情なんだから、

もちろん表裏一体で境目は曖昧っていう事は言えるけれども、


それにしても、


愛とか人間の永遠のテーマ的なものを除いた

その他の大体の事に対して

だいたいのひとは好き嫌いをはっきり区別できるし、

実際しているんじゃないかとおもう。



つまり何が言いたいかとのかというと、


『好き・嫌い』はもともとはっきりしているものなのではという事です。


ひとによって異なるのは、それをはっきり口に出すか出さないかの違いだとおもう。


だから、わざわざ「好き嫌いはっきりしてる方」なんて自己フォローしなくてもいいんじゃないか。


それを盾にして、排他的なったり、明らかな間違いの修正努力から逃げたりしたくはないなぁ。


安易な『好き嫌い論者』には、なりたくないなぁ。。。




おむすびが食べたいんだなあ 

伊勢屋の五目と茶飯が、好き


ひもて


非モテ  と  否モテ  では、天と地ほど違う!


ちゃんと理解が浸透しますように!


小明の秘話に、挙手

「傷ついたから優しくして欲しくて、でもそんなこと発するのもおこがましかろう、と我慢したり怒られるやも、と自粛したり、やっと発したらうっかりスルーされてしまったりで、結局一人で歯をくいしばって治していたら折れた骨やら心やらが歪んだままくっついてもう戻らなくなってしまった皆さま、こんばんわ!あかるんだよ!!
次からは出来たら適正な処置がしたいですね!」



小明の秘話より




かなりの勢いで挙手させていただきます!


こんばんは!






訪れ


割と近い過去、例えば一年くらい前までを限度として、


視点をそのときに置いて、



訪れなかった未来


と、

今に置いて



訪れ始めた未来




どちらを選ぶのかは、難しそうです。




幸せとは無縁なのは、もうわかっているんです。



ただひとつ譲れないのは、



たとえ小さな小さなちっぽけなものでも



確かな使命感と責任感なのです。




日曜日はいりません。 祝祭日もいりません。


元旦があれば良いんです。




毎日時間を生産的にやり過ごせれば、それで良いのです。



いつか死ぬなら、気づかぬうちにさくっと終わっても良いのです。








希望

恋愛でいちばん価値があるとおもうこと。


それは、相手に希望を与えられるかどうかだとおもいます。


でも、自分に相手を帰属させたり、お互いの依存によって根拠付けられるものとは違います。


自分で未来への憧れを、たとえぼんやりとでも、見つけたり創ったりするべきだとおもいます。


その憧れに対する継続的なポジティブさこそが、恋愛における希望だと良いと思います。



そうではなく、相手を通してそれに辿り着こうとしても、


どうなんでしょうか。 



「来るもの拒まず、去る者追わず」



この言葉を人間関係に使って良いひとは、



相手に希望を与えること


と、


相手に与えられた希望を大切すること



に、意識的なひとだとおもいます。




加えて書くと、


「情けはひとのためならず」


というようなことが有効性を持つ時代は終わったのではないでしょうか。


こういうことばを割とすぐに発する人に限って、他人の「情け」を搾取していきます。


そして、自分の立場が少しでも不利になると、


「去る者追わず」的に全てを終わらせます。


それはただ、都合の悪いことを闇に葬っているだけで、


いつか自分が深淵なる暗闇にのみこまれてしまうでしょう。


だからせめて、自分はそうならないように、できるだけ少しでも、


情けも希望もせめて自分のところで循環をとめないように、


こころを柔らかく保ちたいものです。



もし、そういうことやひとに心当たりがある場合は、何もしないのがいちばんです。


じぶんを安易に消耗させても、もったいないです。


安定した精神は無制限に製造されるもんじゃあないですたぶん。


ちゃんと定期的にエネルギーを補填して、効率的に作り出し運用するべきです。


そしてこのエネルギーも、夢の無限燃料ではないので、ちゃんと意識して生きていないと、


補給源を見失ってしまうとおもいます。






前述したような搾取するひとは、無意識でやってる人が多いです。いわば天然物です。


そういう方々は、そういう方々で利用しあっていただいて、

時には消耗しあっていただいて良いとおもいます。



そこから注意深く適切な距離を置いて、好循環を感じたいです。